心の家

2006年9月26日 第1章
順序を整理しないといけませんね。

まず1年前、そうこの夏休み前の時期です。
家がシロアリに食われボロボロになっているのが
発覚しました。まぁこれは物理的なものなのですが
あとあと関わってきます。

さて、同じ時期に母が入院しました。
子宮ガンというのでしょうか。。。
よく私にもわからないのですが、子宮を摘出する
手術を行いました。
その際、内臓を見た医者が発見したのです。
母が肝硬変であることを。。。
しかもそれは末期。
もともと肝臓にC型肝炎を持った母で、最後は肝硬変になる
ってことは母自身、知っていたようでした。

女であることをやめざるおえず、
さらに目の前に迫るのは「死」
この事を知らされた病院の帰り道
私は運転しながら泣いた。とめどなく涙が出てきた。
今まで母は脳梗塞や薬疹で幾度となく危ない場面になりながらも
帰ってきた。
しかし今回は違う。薬でも病気の速度を遅らせる
事しかできない。
そう、「死」は現実のものとなってしまった。

"長くても3年"

この重い重い物を私達は認識し、そして母を支えるはずだった。

そこで。。。。
我が父はこの現実から逃げ、他に女を作ってしまった。
正確にはわからない。はっきりとした証拠がないから。
しかし、逃げたのは事実。

休みの日には前までは出かけなかったのに、
よく出かけるようになった。
髪の毛もワックスでバッチリ決めて。

そしてその女性と母をくらべ
母に「女らしくしろ!!」と酒の席で暴言を吐くようになった。
子宮をとったとこで「女」
である事を事実上捨てざる終えなかった。

そしてその後も子宮の摘出により
ホルモンのバランスが崩れ横になる日が多く、
「母」であることも十分にできない。

それは息子であるわれわれは十分わかっていた。
それでも生きていて欲しかった。

それなのに父は「女」であることを求め、
「母」である事も求め、「妻」であることも求め続けた。
求め続けて手伝うならいい。
父の場合それが暴言となって母に降り注ぐ。
それが母に重くのしかかり、ついに腰を痛めてしまって
寝たきり状態が続いた。

そして。。。そんな母を見た父はついに

"おまえなんか死ね"

「人間」をやめろとまで言われた母。
とても見切れなかった。

病院へ逃げるように母は入院した。
母は自殺まで考えたいたらしい。
それを母の友達から聞いた時、
自分が情けなかった。

「なぜそんな事を他人から言われ、そして自分が気づかなかったのか」と

少しばかり病院で元気を回復した母は、
意を決して「離婚」という選択肢を選ぶ。

我ら息子も同意した。だって父は父である事を
自分で捨てたのだ。

しかしこの結果が"私"が人質にとられ強引にも現状維持となってしまう。
具体的に言うと、その頃の私は就職活動真っ最中であった。
「この時期に別れるのは息子に響く」
ってところだろう。非常に悔しかった。自分がどれだけ非力で
弱い事か。。。

現状維持といってもそれから少し回復したんだ。

しかし、父は「離婚届」を出された事が気に食わなく、
また母への攻撃が始まってしまった。

家に帰ると響く怒鳴り声。

家とは本来心が休まるところ。
しかしこの家には心が休まるところなどない。
家に帰りたくないとさえ、思うようになった。

しかしながらプラスもある。
それはこの事件が今であったこと。
もしこれが中学校の時や高校であったら
私は絶対にぐれていた。だって家に帰りたくない
って思うくらいだから。
いまだからこそこれぐらいの影響ですんでいる。

"非行にならずして非行の子供の気持ちがわかる"

そんなところだろうか。

ずばり言う。我が家は崩壊した。正常ではない、異常なのだ。
そこで一番最初のシロアリと結びつく

"物理的崩壊と精神崩壊"

意外にも関係があるのかもしれない。

初日はこんなもんか。
ダークです。はっきり言って。
それでも読んでくれた方、どうもありがとう。

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