この数日間はすごかった。
考えに考え抜いた日にちだったよ。
それが表にもすこし出てしまって、、、
「あ、アレはこっちで書かなきゃいけないかったかも」
とも思ったり。。。
まぁ書いてしまったのは仕方のないことですが。
まず一家の大黒柱という役所の意味。
全てを受け止め、全ての包み込み、そして
自分の全てを隠さなければならない。
そう、自分がどんなにきつかろうと
それを愛する人や息子には見せてはいけないのです。
耐え切れなくて出てしまうのは仕方のないこと。
だからこそ耐えられる器を大きく持つ必要が
あるのですね。
一番悲鳴を聞かなければならない立場にいるものが
心に余裕を失くし耳を貸さなかった場合。
昨日も書いたけどそれが崩壊の原因の1つ。
ふむ。親と言う立場はなんともきつい事。
ただなんとなく子供が出来たから親になる。
そういう意味ではないのですね親と言うのは。
んでもって卒論の話。
もし、あの子にあのサークルの後会ってて
そして今日の約束がもし成立していた場合、
今日の卒論の発見は生まれなかった。
卒論の発見が生まれなかった
+
母の悲鳴が聞こえない。(おそらくうかれているだろうから)
考えただけで恐ろしい事。一番最悪じゃん。
そう、あの子は今回もまた大きな役割を果たしくれた。
悲鳴に聞こえなかった。
んなら聞こえるように気づかせてくれる人の
近くにいればいいではないか。
こうも考える事が出来る。
んー。あの子はとんでもない存在である事は
これで確実になった。
いるのですね、自分にとって大切な人って存在がさ。
こうも考えたんだ。洗車しながら。
「家庭崩壊という時とあの子を好きになった時が
時間軸上で結ばれている。家庭崩壊のとき
光になってくれたのは事実。
しかし家庭崩壊とあの子を好きになったことが結びついている
ということはあの子を忘れると言う事は家庭崩壊を
忘れると言う事。逆を言えば家庭崩壊を思い出すたびに
あの子を思い出すと言う事。」
光になってくれたのはプラス。
ただ家庭崩壊を思い出すたびに
あの子が出てきてしまうのはちょっとまずいかも、って。
ただそれは昨日の話。
今日は
「なにも好きという感情まで捨てる必要はない。
まぁーこっちが動く事はしない方がいい。
それだけで向こうはどう断ればいいかで悩んでしまう。
そう、私は先輩、向こうは後輩なのだから。
だから動くのはココまで。
でもあの子が私にとって大切な人であることは
変わらない事実。だって今までそうだったから。
今からもそうであると思う。今回の事もあるし。
好きだけど進まない。でも大切な人。」
え?おかしいって。
自分でも思うよ。そりゃ〜大切な人=そばにいる人=好き
がベストさ。
ただ、どーもそうも行かないみたい。
だけど事実は変わらない。
意味づけも変えるつもりもない。
だからこのままでいいんだって。
そのうち私が卒業しあの子の顔を見なくなったら
好きという感情は消えると思う。
大切な人と言う感情は消えませんが。。。
そうなるまで好きという気持ちを持ち続けることにするよ。
んでもって自分の役割。
それは私たち2つが最高の"薬"であると言う事。
そう、たった二つしかない"薬"の1つなのです、私は。
絶対に治らないと言う現実。
ただ遅らせる最高の"薬"は私たちが"よく生きること"なのだ。
俺はこの家で苦痛の顔を見せるべきじゃないのだ。
それはいわば"毒"。似たような事は昨日も書いた。
それがわかったから俺は笑う事にした。
卒論。もし不満足の結果になるかもしれない。
けどココではもう苦痛の顔をしない。
苦痛の顔をするぐらいなら卒論を妥協する。
これもあの子の行動でわかった事。
直接関係はしてません。きっかけの部分です。
ですがそれでも世話になっとるんですよ。
改めて書くけどすごいね、あの子は。
いろんな人を好きになった。
けどこんな人初めて。ある意味恐ろしささえ感じてしまうよ。
最近思うのが、
「もうそろそろ話していいのかなー」ってこと。
人に話せない。つまりそれは100%このことを受けれいれて
いないなかなぁ〜とも思うんだ。
話す人も選ぶ必要があるんだけど、
人に話せるようになってからこそ100%自分自身に
受けいれた証拠なのかなぁ〜って感じる。
どうなんだろうね、そこんとこ。
もしかすると、すこし自分で軽くしたいという気持ちが
出てきているのかもしれない、無意識の空間に。
でもまだ重いままで走ってもいいとも思っている。
なんだろうね、この矛盾は。
今回の一件。なぜこんなに考えさせられたのか。
もしかすると何かが起こる前兆なのかもしれない。
ふふふ、時が迫っているようにさえ感じるよ。
考えに考え抜いた日にちだったよ。
それが表にもすこし出てしまって、、、
「あ、アレはこっちで書かなきゃいけないかったかも」
とも思ったり。。。
まぁ書いてしまったのは仕方のないことですが。
まず一家の大黒柱という役所の意味。
全てを受け止め、全ての包み込み、そして
自分の全てを隠さなければならない。
そう、自分がどんなにきつかろうと
それを愛する人や息子には見せてはいけないのです。
耐え切れなくて出てしまうのは仕方のないこと。
だからこそ耐えられる器を大きく持つ必要が
あるのですね。
一番悲鳴を聞かなければならない立場にいるものが
心に余裕を失くし耳を貸さなかった場合。
昨日も書いたけどそれが崩壊の原因の1つ。
ふむ。親と言う立場はなんともきつい事。
ただなんとなく子供が出来たから親になる。
そういう意味ではないのですね親と言うのは。
んでもって卒論の話。
もし、あの子にあのサークルの後会ってて
そして今日の約束がもし成立していた場合、
今日の卒論の発見は生まれなかった。
卒論の発見が生まれなかった
+
母の悲鳴が聞こえない。(おそらくうかれているだろうから)
考えただけで恐ろしい事。一番最悪じゃん。
そう、あの子は今回もまた大きな役割を果たしくれた。
悲鳴に聞こえなかった。
んなら聞こえるように気づかせてくれる人の
近くにいればいいではないか。
こうも考える事が出来る。
んー。あの子はとんでもない存在である事は
これで確実になった。
いるのですね、自分にとって大切な人って存在がさ。
こうも考えたんだ。洗車しながら。
「家庭崩壊という時とあの子を好きになった時が
時間軸上で結ばれている。家庭崩壊のとき
光になってくれたのは事実。
しかし家庭崩壊とあの子を好きになったことが結びついている
ということはあの子を忘れると言う事は家庭崩壊を
忘れると言う事。逆を言えば家庭崩壊を思い出すたびに
あの子を思い出すと言う事。」
光になってくれたのはプラス。
ただ家庭崩壊を思い出すたびに
あの子が出てきてしまうのはちょっとまずいかも、って。
ただそれは昨日の話。
今日は
「なにも好きという感情まで捨てる必要はない。
まぁーこっちが動く事はしない方がいい。
それだけで向こうはどう断ればいいかで悩んでしまう。
そう、私は先輩、向こうは後輩なのだから。
だから動くのはココまで。
でもあの子が私にとって大切な人であることは
変わらない事実。だって今までそうだったから。
今からもそうであると思う。今回の事もあるし。
好きだけど進まない。でも大切な人。」
え?おかしいって。
自分でも思うよ。そりゃ〜大切な人=そばにいる人=好き
がベストさ。
ただ、どーもそうも行かないみたい。
だけど事実は変わらない。
意味づけも変えるつもりもない。
だからこのままでいいんだって。
そのうち私が卒業しあの子の顔を見なくなったら
好きという感情は消えると思う。
大切な人と言う感情は消えませんが。。。
そうなるまで好きという気持ちを持ち続けることにするよ。
んでもって自分の役割。
それは私たち2つが最高の"薬"であると言う事。
そう、たった二つしかない"薬"の1つなのです、私は。
絶対に治らないと言う現実。
ただ遅らせる最高の"薬"は私たちが"よく生きること"なのだ。
俺はこの家で苦痛の顔を見せるべきじゃないのだ。
それはいわば"毒"。似たような事は昨日も書いた。
それがわかったから俺は笑う事にした。
卒論。もし不満足の結果になるかもしれない。
けどココではもう苦痛の顔をしない。
苦痛の顔をするぐらいなら卒論を妥協する。
これもあの子の行動でわかった事。
直接関係はしてません。きっかけの部分です。
ですがそれでも世話になっとるんですよ。
改めて書くけどすごいね、あの子は。
いろんな人を好きになった。
けどこんな人初めて。ある意味恐ろしささえ感じてしまうよ。
最近思うのが、
「もうそろそろ話していいのかなー」ってこと。
人に話せない。つまりそれは100%このことを受けれいれて
いないなかなぁ〜とも思うんだ。
話す人も選ぶ必要があるんだけど、
人に話せるようになってからこそ100%自分自身に
受けいれた証拠なのかなぁ〜って感じる。
どうなんだろうね、そこんとこ。
もしかすると、すこし自分で軽くしたいという気持ちが
出てきているのかもしれない、無意識の空間に。
でもまだ重いままで走ってもいいとも思っている。
なんだろうね、この矛盾は。
今回の一件。なぜこんなに考えさせられたのか。
もしかすると何かが起こる前兆なのかもしれない。
ふふふ、時が迫っているようにさえ感じるよ。
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