"できるという現実を受け入れ、すべきと言う幻想を放棄せよ"

その意味がわかった気がします。
悩ませていたのは結局"自分"だということ。
まず恋愛。
「苦しむ顔を見たくない」
でも実際苦しんでたのか。
「困らせてしまった」
ホントに困ってたの?
そう。。。全ては自分の憶測。自分の考え。
現実そうだったのか。ソコは含まれていない。
自分で傷つかない理由を勝手に決めていたんですよ。
立場の違い?それも単なる自分のいいわけ。
そしてそれを人に話す。肯定が欲しかった。
つまり正当性が欲しかった。
「ね?そうでしょ??」って。
一般的な考え、それを事実として正当化しようとしていた。
そう、自分の考えにとらわれていたんですね。バカみたいに。

次に卒論。
誰かがその研究の成果を願っているのか。
たとえばその研究が成功すれば利益になる。
プラスになる。はたしてそうなの?
卒論。それは卒業論文。卒業するための論文であって、
自分のための論文や人のための論文ではない。
ひねくれたとらえ方かもしれないね。
だからこそ裏に書いてるんですけど。。。
成果が出なかったといって自分が否定されるわけではないのです。
恋もそう。

「優しい先輩でいたい」「真面目な人って思われたい」
結局それら自分を栄光化された自分を見ていた。
それが自分を苦しめていた。そう栄光化の裏では
自分の感情をかなり犠牲にしている。
その感情が表に出る事を恐れていたんだ。

それが生き方にも関わってくる。
「父親の役目をしなければならない」
だれが望んでいるのか?母か?それはホントに望まれているのか?
「薬にならなければ」
それを望んでいるのか??
そう、これも自分の考え。
自分の考えで自分を縛り、バカみたいに落ちていた。

単なる自分の思い込みでそして思い込んでいる自分が
正しいと思っていた。何より束縛されていたんですね。
自分に。

アハハ、自分の考えとは時の恐ろしいものです。
それが原因なのにそれに目を向けられない。

うし、今はとても新鮮な気持ちですね。
年明けにはもってこいの気持ちです。

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