久々である。
しつこいようだがGoogle先生でまた私が2位になった。
どういう基準なのかがわからない。

さて、前回からの流れをざっと書こうか。

あいもかわらず元には戻っていない。

とはいうものの確実に進み始めている。
再開へなのか終焉へなのかは分からないがな。

私はひたすら相方のことを思っている。
故に実は毎週お菓子を作って持っていってる。
受け取ってもらえる日もあれば会えない日もある。
それはいいんだ。
今はただ伝えるだけ。と思っていたが、今日
これ以上持ってこないでくれって言われた。
理由は自分が何も返せないからという。

ふむ。確かにね。伝えると伝わるは全く違う。
伝えるとは自分の行為であり、
伝わるとは相手の行為である。

伝わらなかったのか?
と思ったが次に「でも美味しかったよ」と言ってくれた。

要は方法が違っていたということだ。
別の方法を考えることにしよう。
私はこの道を進むと決めたのだ。

まぁそんなところ。なんかごちゃごちゃやってるとだけ思ってくれ。

さて、問題なのは題名の認知症である。
母の担当医から「最近血液中のアンモニアの数値が高くなっている」
と聞いた。
アンモニア。それは肝臓で処理されるべき毒素。
それが血液中に出始めたということは肝臓でもう処理がしきれなくなっている
とのことだ。
つまりこの毒素が頭に回ると認知症となる。

そう、考えすぎかもしれないが私の存在すら忘れられるのである。
ある意味あの激戦を忘れられるというのであればそれはそれで
幸せなのかもしれないが。。。

ということで私は大学で行われた認知症シンポジウムに参加した。
私は戦わなくてはならない。けどこの敵は目に見えない。
せめて敵の内容だけでも把握しようと思って参加した。

その中で、認知症はいずれ死ぬ。という言葉があった。
だが続いて、

しかし死ぬことが敗北ではない。
尊厳死できなかったらそれは敗北である。

という言葉が続く。

"尊厳死"

慌てて調べる。それは治る見込みのない病気に対して
この時間が最後という意味で痛みをとる麻酔みたいなものだ。
よくガンの治療で一度持ち直したということがある。
あれが尊厳死にあたる。最後の幸せな時間をあえて作り出すという考え方。
賛否両論ある。しかし実際利用されているのだ。

別名
"ターミナルケア"
最後の治療なのである。

ふぅ。最後がわかるとはいいことだが、分かりすぎても何も行動できなくなる。

ただ、認知症と戦うに当たり1つ課題が残されている。
それが私のストレスである。

認知症と戦う時一番ネックなのが介護者のストレス。
そう、私がストレスをためていてはマイナスということだ。

だから今私はストレスから回復できる方法をいくつも探している。

ストレスを溜めない方法ではない。
ストレスを解消できる方法なのである。

ストレスそのものを溜めない事はまずあり得ない。
だからこそどうやって平常へ戻すかがカギとなる。
それも一つの方法ではなくあまたの方法を持っていることで
ストレスがたまった場合に総当たり戦でストレスをやっつける。

これはこれ!というものではなくこれこれこれという風に
数多く持つことが大事なのだと思う。

だから今私はいろんなことをチャレンジしている。
・オルゴール
・ラベンダーの匂い
・ゲーム
・物づくり
etc

これに相方が入れば問題ないのだが、今は入らないからね。
違う方法で補ってはいるのだが。。。
やっぱり相方が成す力が大部分を占めていたよ。

無くしてわかるね。その大切さが。


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