やれやれ、合コンというものに行ってきたよ。
え?それなんか矛盾してないかって??
そう思われるかもしれないが
いいわけを1つ書かせてほしい。
「結婚までにいっぱい遊んでよ、結婚してから遊ばれたら困るから」
これは相方の言い分ね。
でも私の言い分は
「一回でも遊ぶと苦しいときに必ずそこに行く。だから一回も遊ばない」
である。
まさに反対のことなんだが、、
相手に信じてほしいと思う時、どちらの言い分を通すかというと
相手の言い分の土俵の上で通すと信用してもらえる。
つまり
「遊んだ、楽しかった。でも私は○○だから遊ばない」
って形が一番信用してもらえると思った。
だから遊んでみた。それが合コン。
あぁ、楽しかったよ。
飲み会の場で盛り上がり、
スポーツバーで女の子たちとビリヤードandダーツをやった。
詳しく分析すると、
男たちは女の子がしたことがないことを強引に始める。
そしておどおどする女の子たちに教えるという名目で
コミュニケーションを図る。
コミュニケーションを図るためには理の通った仕方で否定はしない。
私もそれをした。
ただ、ココで事件が起きた。
確かにこの流れで話すことができしコミュニケーションもとれる。
「いやまて、こうやってアイツは浮気したんじゃいのか??」
っていうテロップが頭の中で流れた瞬間私は
楽しい→イライラに変ってしまった。
自分も含めて男どもの計略がわかり、それを実行したかもしれないアイツ。
あくまでもかもしれないだから事実ではない。
そう考えただけで心が乱れた。
「はぁ?待てよ。俺らが苦しんでいる時あんたこんなことやってたんかい!」
もちろんお酒の力も入りかなりオーバーな考え方になった。
この時点でイライラしている。
さらに、
相方を好きなのにこの現場にいていいのかよ!
っていう本来自分が持っている感情が大きくなった。
楽しいさ。
面白いさ。
女の子と会話できるのはドキドキするし、わくわくもする。
ただ自分のまじめな部分との不協和音、つまり思っていることと
やっていることに差があったため私は苦しい気持ちになった。
「なるほど、私は合コンは楽しめるが後々この不協和音の波が来る」
ってことが分かった。
故に結論。
楽しいことは認める。だけど自分は行かない。
まぁそんなところでごわすよ。
え?それなんか矛盾してないかって??
そう思われるかもしれないが
いいわけを1つ書かせてほしい。
「結婚までにいっぱい遊んでよ、結婚してから遊ばれたら困るから」
これは相方の言い分ね。
でも私の言い分は
「一回でも遊ぶと苦しいときに必ずそこに行く。だから一回も遊ばない」
である。
まさに反対のことなんだが、、
相手に信じてほしいと思う時、どちらの言い分を通すかというと
相手の言い分の土俵の上で通すと信用してもらえる。
つまり
「遊んだ、楽しかった。でも私は○○だから遊ばない」
って形が一番信用してもらえると思った。
だから遊んでみた。それが合コン。
あぁ、楽しかったよ。
飲み会の場で盛り上がり、
スポーツバーで女の子たちとビリヤードandダーツをやった。
詳しく分析すると、
男たちは女の子がしたことがないことを強引に始める。
そしておどおどする女の子たちに教えるという名目で
コミュニケーションを図る。
コミュニケーションを図るためには理の通った仕方で否定はしない。
私もそれをした。
ただ、ココで事件が起きた。
確かにこの流れで話すことができしコミュニケーションもとれる。
「いやまて、こうやってアイツは浮気したんじゃいのか??」
っていうテロップが頭の中で流れた瞬間私は
楽しい→イライラに変ってしまった。
自分も含めて男どもの計略がわかり、それを実行したかもしれないアイツ。
あくまでもかもしれないだから事実ではない。
そう考えただけで心が乱れた。
「はぁ?待てよ。俺らが苦しんでいる時あんたこんなことやってたんかい!」
もちろんお酒の力も入りかなりオーバーな考え方になった。
この時点でイライラしている。
さらに、
相方を好きなのにこの現場にいていいのかよ!
っていう本来自分が持っている感情が大きくなった。
楽しいさ。
面白いさ。
女の子と会話できるのはドキドキするし、わくわくもする。
ただ自分のまじめな部分との不協和音、つまり思っていることと
やっていることに差があったため私は苦しい気持ちになった。
「なるほど、私は合コンは楽しめるが後々この不協和音の波が来る」
ってことが分かった。
故に結論。
楽しいことは認める。だけど自分は行かない。
まぁそんなところでごわすよ。
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