またもしばらくの間ご無沙汰しておりました。
ではでは近況報告しますね。
①母の手術。
母の肝硬変は既に末期まで来ており、
箇所箇所に癌が発見され始めています。
がん発見→治療(焼く)→落ち着き→がん発見
という回復にはならないスパイラルを
歩んでいます。
そして8月。
4月に癌が発見され、その場所がとても危険なところで
失敗すると死にいたるという問題。
医者は「したくない」というのが感想だった。
それでも強行突破で手術に挑んだ母。
手術当日、私は仕事を休んで母に立ちたった。
もちろん兄も来ていた。
久々兄と話す時間が持てて、
今後の事とかは話した。
お互いに最悪のケースを考えていたが、
今それを考えたくなかったから、
ひとまず母の帰りだけを願った。
結果。何とか終了。
しかしその手術中にもう一個のがんを発見。
翌週再手術となり母は結果的に1月入院をすることになった。
困難な手術も何とかクリアしたが、
それなりに体にダメージが残り、
退院したものの苦しい生活を送っている。
②母と彼女の対面
なんとか苦しい手術を乗り切ってもらうために
私は夢を与えるしかなかった。
それが彼女の対面だった。
母はかなり彼女に会いたがっていた。
それも実現をさせた。
③1年ぶりの検査
私のC型が治ったと結果をもらって1年が過ぎた。
1年ぶりの定期検査。
もしかすると再発している可能性や、
治っていない可能性が私にはあった。
定期検査は彼女も来てくれた。
結果・・・未検出。
そう、私はやはり完治していた。
簡単に書くとこんなところか。
具体的に書くのはいつも困ったときだ。
今はそこまで苦しんでないから
今の流れだけを書いておく。
ではでは近況報告しますね。
①母の手術。
母の肝硬変は既に末期まで来ており、
箇所箇所に癌が発見され始めています。
がん発見→治療(焼く)→落ち着き→がん発見
という回復にはならないスパイラルを
歩んでいます。
そして8月。
4月に癌が発見され、その場所がとても危険なところで
失敗すると死にいたるという問題。
医者は「したくない」というのが感想だった。
それでも強行突破で手術に挑んだ母。
手術当日、私は仕事を休んで母に立ちたった。
もちろん兄も来ていた。
久々兄と話す時間が持てて、
今後の事とかは話した。
お互いに最悪のケースを考えていたが、
今それを考えたくなかったから、
ひとまず母の帰りだけを願った。
結果。何とか終了。
しかしその手術中にもう一個のがんを発見。
翌週再手術となり母は結果的に1月入院をすることになった。
困難な手術も何とかクリアしたが、
それなりに体にダメージが残り、
退院したものの苦しい生活を送っている。
②母と彼女の対面
なんとか苦しい手術を乗り切ってもらうために
私は夢を与えるしかなかった。
それが彼女の対面だった。
母はかなり彼女に会いたがっていた。
それも実現をさせた。
③1年ぶりの検査
私のC型が治ったと結果をもらって1年が過ぎた。
1年ぶりの定期検査。
もしかすると再発している可能性や、
治っていない可能性が私にはあった。
定期検査は彼女も来てくれた。
結果・・・未検出。
そう、私はやはり完治していた。
簡単に書くとこんなところか。
具体的に書くのはいつも困ったときだ。
今はそこまで苦しんでないから
今の流れだけを書いておく。
コメント