学園祭が終わりました。

今回の学園祭大きなやる意味がありました。

?サークルに恩返しがしたかった。

そうアレは忘れもしないあの攻防戦があった夜のこと。
その日サークルに行ったんだ。
気分はとってもブルーです。いやブラックですねアレは。
だけど・・・体育館のドアをあけるとみんな笑顔で迎えて
くれて
「あーここはなんて温かいんだ」って思ったんだ。
あの時から
「4年間所属したココに何かしたい!」
って思ってるところに学園祭の仕事が舞い降りてきた。

「恩返し」の感情がなければサラーと流してたでしょうね。
だって卒論でクソ忙しい時期にあたるわけでしょ?
普通なら誰も手を出さないよ。そう、普通ならね。。。

ちょうど都合が良かった、正直ね。

?あの子に恩返しがしたかった。

もう1つ恩返し。そうアレは8月くらいから
ある人を好きになって、いろんなことを教えてもらって、
さらにあのダークな時期に光となってくれたんだ。
べつに彼女が何かをしてくれたわけじゃない。
俺が彼女を好きになって、そこから元気をもらって、
正直彼女を好きでなければダークな時期から抜け出すのが
遅れたし、最悪まだダークな時期だったかもしれない。
でもその彼女サークル内部に好きな人がいる。

今回何をしたかというと、その恋の応援をしたんだ。
普通なら考えられないよ
「好きな人の恋の応援」なんてさ、そう、普通ならね。
具体的に言うと彼女は自分で
「理由がないと動けない」って言ってたんだ。
だから理由をつけてあげた、この役所にいたから出来たんだ。
結局どうなったかはわからない。そこまで私が知る必要もない。
ホントは彼女の側で彼女の力になりたかった。けどソレは
無理と判断。ならばせめてすこし遠いところから力になろう。
と思ったんだ。俺が動かなければソコに彼女の笑顔は
生まれない。けど俺が動けば彼女の笑顔は見れるかもしれない。
ソレが今回動いた理由の一つ。
ふふふ、ありえない考え方でしょ?
でも不思議なんです。それで納得している自分がね。

?3本目の柱

恩返しと恩返し、2つ続いたこの事柄。
これが第3柱を作る設計図案だったんだ。
第1,第2柱は気づいたら立っていた。
でも今回は何もない所に柱を立てたんだ。
いざ立てるとなるとまぁ〜きつい事きつい事^^;
でも柱の力はすばらしき力って
すでに2本立ってる柱で知ってるから、
がんばって建設したんだ。
具体的に言うと学園祭の準備ね。

今学園祭が終わって、ソレと同時に「恩返し」
の柱も完成しました。
そう、今からはこの新しき力を加えて私は生きていく。
とはいえ完成したばかりで後2本とは
まだ上手くかみ合わない。でもソレは初期不良と言う事で
仕方のないこと。だからこの力が十分に使えるのは
もう少し先なんですね。
どこで使うのでしょうかね、この力。

上の3つの一連の流れ、何が出発点かと言うと
そう、この闇だったんです。

"この闇がココにつながるのか!?"

正直人生の流れと言うものに不思議さを感じています。
あの闇によって俺は新しい柱を手に入れる。。。

"運命は決められている"

あながちウソじゃないかもね♪
最近穏やかな月日が流れています。

根の部分が落ち着いたおかげで、

全てのことにおいてうまく回ってきている気がします。

やはりどんなになっても"家族"という根は大切ですね。

人から言われ、また自分の口では言うけど、

これは経験しないと心からは理解できないだろうなぁー。

しかし経験するということは"家族"が崩壊する時なはずです。

むずかしいのぉーココは。

あまりにもこのことが重かったため、
今まで重いって思ってたことが
ずいぶん軽く感じ、不思議な感覚さえします。
前の悩みが心地よくさえ感じます。
別居と言う事実。

父は受け入れた。そして今日、新たな住み場所へ旅立った。

とはいえ家から近いので、まぁなんともいえないけど。

家は落ち着きを取り戻している。

母は精神的に開放されて、生き生きしているように見える。

しかし、問題があるのよね〜。

ずばり"お金"です。
父からのお金は当然ないです。
つまり後は母の貯金に頼るしかない。
節約の試練がココから始まるか。。。

とりあえず今はそんな感じ。
でも寝る前とかやっぱ枕が濡れてしまうよ。
ホント私って非情になれないよ。。

いま"親和欲求"がとてつもなく強いです。
これは「誰かといたい」って言う気持ちのこと。
1人だと泣いてしまうので。。。

父の気持ち

2006年10月2日 第1章
"母さんは俺がいると精神的にやばくなる、
それが十分わかった。だから俺は母さんの精神状態を
安定させるためココを出る。離婚するつもりはない。
母さんの精神状態が第一だから"

母さんに聞こえないよう、私に言う父。

"わかった"

私はこう答えた。

あの攻防戦からというもの、我が家は力を失ったかのように
静かになっている。
かつて家族が一緒にご飯を食べ、にぎやかな会話を
してきたフロアはただの部屋。誰もソコにはおらず、
電気も消えて真っ暗。
家族それぞれがそれぞれのテリトリー(部屋)
この事実に冷静に向かい合っている。
そんな気さえする。

母が病院(治療のため)に行った。
その後父も行った。おそらく母を殴った責任を感じて
いたのだろう。
しかし病院で母を見つけるが、
母はその瞬間震えだした。そう、それは父の目にも焼きついた。
そのときだろう。

"あんたの言うとおり母にとって私は恐怖でしかない。"

あんたとは私のこと。
攻防戦の時、母がヒステリーを起したんだ。
それで私が

"今のでわかったろ!今のあなたは母や私たちにとって恐怖でしかないんだ"

泣きながら私は訴えた。父はそのときにはピンと来ない顔をしていた。

その意味が今日わかったようだ。
母からしてみれば
"病院まで追ってきた"
そう思ったらしい。

手続きを済ませ、住む場所も見つけている。
そう、本当に出て行くのだ。

母を守るために必死だった。
でも私は父を守れなかった。
ココにきてそう考えるようになった。

現状を受けとめた父は一段と小さく見えている。

"ほんとうにこれでよかったのか"
"あの現状ではこうするしかなかった"

せめぎあっている。私の心の中で。

別居という事実。ただ違うところに住むというだけなのに、
なぜこんなに悲しい気持ちになるのか。

だからといって家にいてもらっても
声を聞くだけで恐怖となるこの現状。

つまり、そうなる前に手を打つべきだったのか。

考えれば考えるほどきりがないのはわかっている。
しかし頭から離れない。

私は非情になれない。そう感じた。
このように後でああだこうだと考えてしまうから。

何度も言うが、

"こんな迷い、こんな悲しみ、我が息子には絶対にさせない"

兄の気持ち

2006年10月1日 第1章
いつも平然としていた兄貴。

しかし心の中ではそうでもなかったみたい。
そりゃそうだよね。事が事だけに。

父と言う司令塔がいなくなって、
私たち息子2人で父の役割をしていた。
5:5?ちがうね。やはりココは私の甘えでもあった。
実は7:3であった。私も兄に頼るところもあったから。
だから長男として表には出さなかったのだろう。

昨日それが表に出た。

"俺らはもう限界なんだ、家に帰ってきたくない!そう思ってしまってるんだ!"

"会社から帰ってきたら母の口から
会社に行く時は父の口から、これじゃ仕事できるわけないだろ!"

もっともだった。人の上に立つもの弱みを見せてはいけない。
だから私には人の上に立つということは苦手なのだろう。
弱いところは弱いと自分で認めるから。

父と殴り合い(お互い当たってないけど)をした兄。
内心終わったあとも怖かったようだ。
兄が寝ているときにお風呂はいるように起し行った時のこと。
「兄さん」
って声をかけるだけどビクッっと飛び上がって。
「誰や!!」って。。。
「いや、・・俺だけど」
「・・・なーんだお前か・・びっくりさせるなよ」
そう、父が仕返しに来たと思ったらしい。

兄は恐怖心を怒りで補っていたのだろう。
それほど父という存在は大きくて、強くて、味方のときは
とても安心できた。敵となってしまった今はホントに
恐怖でしかなかった。

恐怖を怒りでカバーする兄。
恐怖を恐怖として受け入れる私。

対照的ですね。長男と次男の差でしょうか。

今から昨日の会話を1つずつ思い出して記録しなければならない。
母が言うには離婚する時に必要
になるかもしれないということだ。
アレを思い出すとはつらいし、ホント思い出したくない。
しかしまぁーココまで踏む混んだのだ。最後まで
行くしかないだろう。

兄は昨日私たちのトップとして頑張った。
後処理は私がする役目。

ちなみに現状はどうかというと
10/4に父が出て行くことになっている。
これは父自身が手紙を置いていた。
資金は20万かかると言う。
手伝いは不要。全部自分でするとの事。

もっとひどい経験をしている人はたくさんいると思う。
これだけの人間がいるから。

しかし、今は

"こんな経験、みんなにはして欲しくない。もういいだろう。
ココまで犠牲にして、代償払って学ぶべき事なのか?"

そう思っている。

"将来の私の子供にも絶対こういう思いをさせるわけにはいかない!"

今だからそう強く思うことができる。

これが小さい時には意味がわからない。
少し大きくなって意味がわかる
時は自我が崩壊する可能性がある。

そう、今だからこそ、そう思えるんだ。

ふぅー今朝も父と母は少し話したみたいだが、
父の声を聞くだけ目が覚めそして気分がダークになる。
昨日の父の泣く顔を見て、「あー」って思ったんだが、
現状は父の声だけでのこの恐怖心。

さて、後処理としての話の流れをまとめるとしますか。

激しい攻防戦

2006年9月30日 第1章
精神的にも肉体的にも疲れてしまいました。

今朝から攻防戦は始まったのです。

発端はまぁー長くなるのですが、

ちょい前の「父が家を出て行く」という事件から
母は全く父の世話をしなくなった。

飯作らない,洗濯物洗わない,・・・
いやね
「自分の事は自分でしてください」って言って
「はいはい」って答えたらしいんだ。

だからしなかったらそれに激怒して、
ついに母に手を上げてしまった。

「キャー」っと響き渡る母の声。
その瞬間、兄と俺の糸が切れた!
「なんしよっとかー!!」
自分の部屋のドアを音が出るくらい勢いよく開けて、
部屋を飛び出した。

正直、体が震えていた。兄はどうかしらないが、
俺は確実に震えていた。怒りなのか?恐怖なのか?
自分でもわからない。それを必死にこぶしを握って
堪えていた。

それ以上の暴力はなく、今度は母抜きの話し合いになった。
「暴力では何も変わらないでしょーが!!」
俺はそう言った。

ただ兄貴は戦闘体制に入っているから、
何時でも手がでるぐらいにモチベーションは上がっている。

それで、意見の言い合いが続く。
しかし、兄の態度はもう怒りがにじみ出ている。
おそらく父の血だろう。
それに父も反応してしまって、さぁ殴り合い。
必死に止めた。まぁ間に机があったから
それでお互い踏み込むことができず、
力は半減、距離も詰めれないから、
そして間には俺がいるから、1,2回パンチが飛んだだけ。
お互い当たっていない。

そこで母が登場。そのおかげで何とか殴り合いが収まった。
で、こっから4人で言い合い。
俺は感情的にはならなかった。感情を理性でコントロールして
怒鳴り声を使わず冷静に感情を語った。

父は泣いた,母も泣いた,当然俺らも泣いている。

しかしこの光景は既に一回あったんだ。
そう、今年に2月に。
あの頃お互い新しく進もう!ってなったのに
結局これ。

"努力は実る"

父は言う。
俺は答えた。

"ではアレから(2月の出来事)実ったか?この現状を見て"

"人は変われる"

父はこうも言った。俺もそう思う。大きな出来事があれば。

"では、アレから(2月の出来事)変わったか?"
俺はこうも答えた。

いづれも返事はない。というか返事を聞く前に
母が口を開けたから返事する隙間がなかったのかもしれない。

"本当の俺はこうじゃない"

ちょっと待てよ。だからと言って攻撃していいのか?

そんな会話が長々と続く。
でも俺の心の中では「感情的になってはだめ。理性を保つんだ」
そう囁いていた。

結果どうなったか。

"一度距離を置くという意味で,父は家を出る"

となった。だからいま父は住むところを探している。

仕事で頑張る父、好きだった。
そんな父に憧れる時もあった。

だからといって家を無視していいのか?

ふぅー終わったときなんともいえない疲労感。
これは2月の離婚届を出した時よりも疲れている。
あの時は俺も感情的になって大声をだした。
でも今回は違った。相手の言う事も「たしかにそうだ」
と受け入れた。うえでの結果。

意見もまとまった、最後

"もっと母さんと居たかった"

泣きながら父は言う。

俺もそうだ。もっと暖かい家、"心の家"であってほしかった。
"家に帰れば家族がいる。あそこだったら休める、癒せる
そしてまた明日頑張れる"

でも、その神話は続かなかった。
お互い同じ気持ちになって再出発した2月。
半年たっても気持ちは同じだけど、結果はこの現状。
言えば、2回失敗しているのだ。
さすがに今回は引けない。3回目も同じ結果になるって
だれだって予想するだろう。

あー泣いた。父が泣くたびに泣いた。
母が泣くたびに涙が出た。でも迷わない。
精神的苦痛をあじあわせる、あの父の態度は
母の命を削る。

朝一の攻防戦やったんで、飯も食ってない、
歯も磨いていない、顔も洗っていない。
そんなんで4時間?続いたのかな。

さて、どうなるのか。本気で住むところを
探してくれるのだろうか。
また理由をつけて帰ってくるのか。
しかし今回は家族全員で出した答え。
素直に受け入れて欲しい。別居という事実を。

なーんにもやる気にならないね、こういう日は。
文字数見ると、まぁー1600字こえてるじゃん^^
一種のレポートになってるよ(笑)
"まだ俺は父であり、夫だ"

本当にそう思っているのだろうか。
それは幻想に過ぎない。
確かに過去は数え切れないほど世話になった。

だが今はどうだ?
所詮それは過去の栄光であり、今ではない。
いつまで過去の栄光にすがりついているのだ。
そんな司令塔、必要とされるはずないだろう。

っとココで近況報告。

一昨日、たんかをきってアイツは家を出て行った。
荷物を少し持って。
「これで平和が来たの??」
私と兄、母は喜んだ。
「これでこの家には"心の家"という属性がつくと。。。」

それと同時に私と兄にメールが届く。
フッ、全部書いてみるよ。
「こんな形で申し訳ない。
別に深刻に落ち込んでいるわけではない。
だた生き方と考え方のズレかな〜?
この年になると人生を考えることがある。
あなたも大人になったしね。
食べるためにガムシャラに仕事して生きてきた。
少ない給料だったけど。
もうそろそろゆっくり趣味をもって生きていけるかな〜?
なんて思っている!
男だったら誰でも、出るよね?
なんで私がしがみついている必要があるの?
そんなやつ馬鹿じゃん。心配しなくてもいいから
母さんを頼むね!」

んでもって私は
「これは"マイナス"とは捉えてません。
全員にとって"プラス"だったと思っています」
と返し、兄は
「はーい。いるもんあったら後で住所とか教えといて。
届けに行くから」
と返す。

誰一人として止める者はいなかった(笑)

んでもって母はアイツの荷物をせっせと準備して
玄関に置いた。後で取りに来てもすぐ持っていけるように。
個人的には、荷物を自分の手で持っていくことで
自分が出て行くことを認識させる必要があると思ったのだが。

そして荷物を取りに来たアイツは準備されていた荷物に
激怒。まぁ当然でしょうね。
ただ母は一歩も引かなかった。
「むしろ感謝しなさよ!準備してあげたんだから」
その時間私は大学にいたから詳しくは知らない。

自分の給料が振り込まれる通帳と印鑑をもってアイツは
再び出て行った。

つまり経済的には切れたことになる。もうココに帰ってくる
理由はない。
ヤッタ!!ヤッタ!!

しかし。。夜中に帰ってきやがった。
「気が変わった。」
は?あそこまでたんかきって俺らにメールしてか?

そして今も居座り続けいている。

もしかして、誰かが止めてくれると思ったんだろうか。
もうそれはないってことを自覚してほしい。
あなたはもう司令塔ではないのだから。。。

母の気持ち

2006年9月27日 第1章
"私がいなくなれば、全て終わるのにね"

母はたまにこんな事を真面目な顔で言う。

数ヶ月前まではその言葉を聞く度に本気で怒っていた。
「なんてこと言ってるんだ!!」と。

しかし最近はそういえなくなってきた。
なぜか。
俺が同じ立場でも同じことを言うと悟ったからである。

バドミントンで後輩に暴言を吐く先輩がいた。
先輩といっても私にとっては後輩なのですが。

そこでコソっと注意した。
人目のつかぬところで、冷静に。
ただ、この一件で俺がバトミントンにいれなくなることも
覚悟の上だった。
暴言をはかれる後輩の顔を見るとそれぐらい屁でもないか
と思ったのである。

母とは規模が違うが、考え方は同じ。

だから怒る事ができなくなった。
そしてその言葉は今日も口から出ている。

残された時間を楽しむために使って欲しい。
そんな息子たちの願いを父はぶち壊した。

言うなれば母の死が明確になったと同時に、司令塔を
失ったのだ、われわれ息子は。
それで、後から戻ってきてその司令塔の位置につこうとする。
社会では通用するはずがない。
自らその役割を捨てそして戻ってくるなりその役割を担う?
ふざけないで。

そして今日も母に恐怖を与え続けている。

母のロウソクの長さは後どのくらいなのだろう。
それを短くする父は何なのだろう。

「俺が守るって誓ったから」

口ではどうでも言えるんですよ。
実際何から守っているの?
「へんな男どもから」

馬鹿としか言いようがなかった。精神的に守ってくれた?
あなたは守るべき力で攻撃しているのだ。

「俺と対等と勘違いしていないか?」

あなたが強いと言う事は私も十分認識している。

なのに、力がない者に何かを求める。普通逆じゃないか?
そして力なき者を攻撃する。それが夫のすることなのか?

母はすっかりおびえてしまっている。そんな母を守る事の
できない自分がほんとに悔しくて悔しくてやりきれない。

まだまだ私は精神的に強くならなければ大切な人を守れない。

心の家

2006年9月26日 第1章
順序を整理しないといけませんね。

まず1年前、そうこの夏休み前の時期です。
家がシロアリに食われボロボロになっているのが
発覚しました。まぁこれは物理的なものなのですが
あとあと関わってきます。

さて、同じ時期に母が入院しました。
子宮ガンというのでしょうか。。。
よく私にもわからないのですが、子宮を摘出する
手術を行いました。
その際、内臓を見た医者が発見したのです。
母が肝硬変であることを。。。
しかもそれは末期。
もともと肝臓にC型肝炎を持った母で、最後は肝硬変になる
ってことは母自身、知っていたようでした。

女であることをやめざるおえず、
さらに目の前に迫るのは「死」
この事を知らされた病院の帰り道
私は運転しながら泣いた。とめどなく涙が出てきた。
今まで母は脳梗塞や薬疹で幾度となく危ない場面になりながらも
帰ってきた。
しかし今回は違う。薬でも病気の速度を遅らせる
事しかできない。
そう、「死」は現実のものとなってしまった。

"長くても3年"

この重い重い物を私達は認識し、そして母を支えるはずだった。

そこで。。。。
我が父はこの現実から逃げ、他に女を作ってしまった。
正確にはわからない。はっきりとした証拠がないから。
しかし、逃げたのは事実。

休みの日には前までは出かけなかったのに、
よく出かけるようになった。
髪の毛もワックスでバッチリ決めて。

そしてその女性と母をくらべ
母に「女らしくしろ!!」と酒の席で暴言を吐くようになった。
子宮をとったとこで「女」
である事を事実上捨てざる終えなかった。

そしてその後も子宮の摘出により
ホルモンのバランスが崩れ横になる日が多く、
「母」であることも十分にできない。

それは息子であるわれわれは十分わかっていた。
それでも生きていて欲しかった。

それなのに父は「女」であることを求め、
「母」である事も求め、「妻」であることも求め続けた。
求め続けて手伝うならいい。
父の場合それが暴言となって母に降り注ぐ。
それが母に重くのしかかり、ついに腰を痛めてしまって
寝たきり状態が続いた。

そして。。。そんな母を見た父はついに

"おまえなんか死ね"

「人間」をやめろとまで言われた母。
とても見切れなかった。

病院へ逃げるように母は入院した。
母は自殺まで考えたいたらしい。
それを母の友達から聞いた時、
自分が情けなかった。

「なぜそんな事を他人から言われ、そして自分が気づかなかったのか」と

少しばかり病院で元気を回復した母は、
意を決して「離婚」という選択肢を選ぶ。

我ら息子も同意した。だって父は父である事を
自分で捨てたのだ。

しかしこの結果が"私"が人質にとられ強引にも現状維持となってしまう。
具体的に言うと、その頃の私は就職活動真っ最中であった。
「この時期に別れるのは息子に響く」
ってところだろう。非常に悔しかった。自分がどれだけ非力で
弱い事か。。。

現状維持といってもそれから少し回復したんだ。

しかし、父は「離婚届」を出された事が気に食わなく、
また母への攻撃が始まってしまった。

家に帰ると響く怒鳴り声。

家とは本来心が休まるところ。
しかしこの家には心が休まるところなどない。
家に帰りたくないとさえ、思うようになった。

しかしながらプラスもある。
それはこの事件が今であったこと。
もしこれが中学校の時や高校であったら
私は絶対にぐれていた。だって家に帰りたくない
って思うくらいだから。
いまだからこそこれぐらいの影響ですんでいる。

"非行にならずして非行の子供の気持ちがわかる"

そんなところだろうか。

ずばり言う。我が家は崩壊した。正常ではない、異常なのだ。
そこで一番最初のシロアリと結びつく

"物理的崩壊と精神崩壊"

意外にも関係があるのかもしれない。

初日はこんなもんか。
ダークです。はっきり言って。
それでも読んでくれた方、どうもありがとう。

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