私は相方と別れる時、相方のすべてを否定するつもりです。
もしやんわりとした別れ方をした場合、
将来、家庭を持ったあとであった時昔に戻ってしまうからです。
そう、アイツみたいに。

だから火傷の傷ぐらい焼き付けて絶対にそこに戻れないようにして
別れることを考えていた。

しかしだ。
それぐらい焼き付けて別れた後何が来るのか。
人格を否定した憎しみである。

故にもし家庭ができ子供を持った時その子供に影響がおこる。

易しく別れても×
厳しく別れても×

うむ。ということはそもそも別れるという選択肢が間違っているのかもしれない。

別れるというのはある意味軽々しい意味でもなく、
将来のことを覚悟して行うべき行為なのかもしれない。

私はふと思った。

覆された持論

2011年4月10日 第3章
さて、表でもウツのことを書き始めました。
ということはウツから戻ってきたのか・・・そんな風に思っています。

かつて私は

"人は苦しいときに過去に戻る"
"今を犠牲にして過去に戻ることは許されない"

そう思っていました。
つまり
"人は苦しいときに過去に戻ることは許されない"
そう思っていました。

私は今とてつもなく苦しいです。
表でも書きましたがすべてにおいて信用信頼を無くしている状態。

そんな時どうしたか。
私は昔の友人に相談した。いや相談に乗ってくれる人に相談をした。
その相談はいては昔の仲間だった。
ってところでしょうか。

"人は苦しいとき過去に戻る"
ではなく
"人は苦しいとき相談したくなる"
"相談相手は気の知れた仲間、それはつまり過去の時間を共有した仲間である"

アイツも最初は気の知れた仲間に相談したのかもしれない。
それがたまたま仲が良かった異性だった。
苦しい今、懐かしい過去。
ん~そらー居心地のいい方を選ぶわない(笑)

相談することは前提です。
だが相談する相手を選ばなければプラスにもなるしマイナスにもなる。

ふむ。過去に起きた事件、もしかしたらそういった目に見えないものが
あったのかもしれない。

最近思うようになった。

とりあえず今の私は

「信用:信頼を取り戻したい」

その一言につきます。

ウツの症状

2011年4月6日 第3章
さて、やっとこの話をすることができる。
C型肝炎の治療の中で副作用が多く出た。

・咳が止まらない
・吐き気がすごい
・朝の眠気がとれない(居眠り運転もしばしば。。。)
・体がだるい
・頭がすっきりしない
・毎日微熱
・頭痛がある
・貧血気味

等々。上げればきりがない。
ただ、この中で一番きついものがある。
それが"ウツ"だった。

ここに書くのはこの経験を忘れないためと、
自分の近い人がウツになった時の対処法になればと思いここに記す。

○第1段階:怒り
些細なことで怒りっぽくなりやすい。特に仕事場でそれが目立った。
小さいことを注意されるたびにイライラしていた。

また、見逃してはいけないのが生活習慣の変化。
例えば、
・いつも洗顔するのに、水でしか洗わない、もしくはあらわない
・お風呂にて隅々まで洗わない
・朝新聞を見なくなった
とても小さい変化。でも「しなくなった」というところに注目。
そのような変化が起きた場合、見逃してはいけない最初のキーポイントである。

○第2段階:不安、焦り
主に仕事の話だが、仕事が立て込む。無駄に焦り考えられない。
そのため仕事が回らない。この悪循環。
いつも不安焦りにみまわれるため、睡眠することすらままならなくなる。

○第3段階:無気力
仕事、相方、身だしなみ、すべてのことに無気力となりなにもやる気にならない。
ボーとする時間が多くなる。よくというものがことごとくなくなる。
睡眠欲、食欲、性欲すべてにおいて低下。

○第4段階:無関心
すべてがどうでもいい。誰にきらわれてもいい、布団から出たくない。
ご飯なんてたべなくていい。すべてに関して無関心となります。
それは相方に対しても同じことです。



簡単に書いたがこれが症状だった。
思いだしたときにまた書き加えていきたいと思う。

ここまででも相当な苦労がある。本人もその近くにいる人も。
この壁を乗り越えてやっとウツから回復傾向になったとしよう。
そこでまた大きな壁に当たる。

それは"現実を突きつけられる"ことだ。
ウツ状態の時、すべての事柄において信頼を無くす。
ウツを理解しても、それによって信頼を維持することはできない。
つまりウツから帰ってきた私にとって、目の前に広がるのは
「信頼を無くしているという現実」なのである。

上司、同僚、顧客、そして相方。そう信頼を無くているのだ。
その現実が見えてくるのでまた気分が落ち込む。
そう、ウツとは無限の負のスパイラルなのだ。

私はあらゆる場面で「あ、信頼なくしているな」と日々感じている。
そしてウツはウツリマス。これが曲者となる。

ウツとの戦いは並大抵のものではない。
覚悟して挑まなければならない。

やっと今週が終わった。長い長い一週間だったように思えるよ。

さて、今日の話。

昨日から一転して今日起きた時は理性が保たれていて、怒りは消えていた。
しかし朝起きると同時に激しい頭痛に襲われる。
おそらくだけど、寝ているときでも脳は活発に活動していたのだろう。
朝からバファリンを飲んで仕事に出かけた。

朝の通勤途中で考える。
「仕事の場合、お客様第一という絶対的原則がある」
「私の好きな物理も"物の理"とかく」
「であれば、人の理とはなんだ?」
そう、絶対的原則があるからこそその原則にのっとることでまとまる。

人の理とはなにか。

少し考えてみた。
例えば、大きなコップに水が入っているとする。
具体的な数字を付けるとすればMAX10リットル。
この10リットルは半分に分かれる。
5リットルは自分のため。
残り5リットルは人のため。

自分に余裕があるときは水位は5リットルを超えている。
つまり自分を満たしかつ自分に余裕がある。
その余裕を人のために使う。

さて、今回のように自分に余裕がなくなった場合、
すなわち水位が5リットルを下回った場合、
当然人のためという考え方はなく、
なんとか水位を保ち自分を守ろうとするだろう。
この、自分と人の境目をデットラインと呼んでおこう。

デットラインを下回った水位を元に戻すためには2通りある。
1つはデットラインまで水を入れること、
すなわち他で補うということだ。そう、私が怒りで補ったように。

もう1つはデットラインそのものを下げること。
そう、それは私がすべてのものに興味がなくなったように。

これが、人の理か?と思いながら仕事場につく。

今日は仕事はできた。

続きはまだある。
夜、会社の中で最も信頼できる人に相談をしてみた。
この人はコミュニケーションのスペシャリストだから
何か答えが返ってくると思ったからだ。

"人の理ってなんですか?"
"そんなものはない"

これが答えだった。その先輩が言うには人の理があるとすればそれは絶対的な教え。
つまり宗教になる。
宗教の悪いところは洗脳ではなく自己判断する能力を奪うことだ。
そういう見解だった。

"人の理というものは存在しない"

では何を信じるべきなのか?

この問いに先輩は答えてくれた。

それは
"愛情を示すこと"
である。

内容は省略するが、ウツのため相方に愛情を示すことがなくなった。
そのため今愛情の水位が下がっているというのだ。
そこへ愛情の水を注くことで相方が戻ってくるという。
ただ、愛情の水を注いでも水位が上がらなかったとき、
どこかに穴があることになり、それはそれで×を選択できる。

つまり、今私にできることは愛情を示すことなのだ。

少し話がまとまらなかったが、理性を保ったゆえに
今は落ち着いている。

今日の私は愛情をすめすことが最大の努力と感じている。

さて明日はどうなることやら。。。

オーバヒッツ

2011年3月31日 第3章
今日は頭がぐらぐらする。
この感覚は前もあった。そう、貧血の症状である。
まだまだだな、私。


さて、昨日怒りにまかせたという話をした。
まかせたのはいいが、やりすぎた。
やってしまった。今の私は憎しみで支配されている。
やりすぎてしまったのだ。

怒りに制御権を渡したのはいいものの、
それに支配されてしまってはもともこうもない。

はぁ。やってしまった。

怒りで自分は守れても、
やっぱり人は守れないと感じる。

あわてて理性を取り戻そうとしているが、
あまりにも怒りが大きすぎて抑えきれず、まだ怒りが勝っている。

今日はそんな状態。

だから相方にもメールしたくない。

さて、明日の私はどうなることやら。。。
かつて

"怒りじゃ何も解決できないだろうが!"

とアイツに叫んだことがある。

そう、怒りは何も解決してくれないし、何も生まない。
分っている。わかっている。
だけど、今日もまた怒りという感情を当てにしてしまった。

好きで怒りという感情を頼りにしているわけではない。
どちらかというと私は怒りというのに否定的な考えを持っている。
まぁ、だんだん仕事も調子が出てきて、一日中考えるときは無くなった。
ただ、運転中などボーとしたときにすぐ考えてしまう。

何度もいう。
怒りは嫌いだ。だた、今はそれに頼らざるおえない。
怒りでは何も守れない。それも分かっている。

ここに書きながら怒りという感情に向き合っているのかもしれない。

さて明日の感情はどうなることやら・・・
今日は本当はウツの症状について書く予定だった。
だけど、今の心境を書くことにする。
ウツの症状はまたかけるが今の心境は今しか書けない。

さて、ゼロから始めるといって2日がたった。
私の心はネガティブであふれている。

「やっぱり別れましょう」
「やっぱり一緒になれない」
「実は好きな人ができていたのよ」

こんなことが起きるかもしれないということを考え続けている。
特に強烈なのが最後の現象。これがもし現実におきるとかんがえると

嫉妬→怒り→憎しみ→復讐心→全拒否

になるんだろうなぁーと感じている。

もしこのことが現実に起きたら、
「寂しい」「裏切られた」「悲しい」そういった感情が生まれるのは間違いない。
今の完全ではない私はこの感情で自分を見失う可能性がある。
そこで私は相方がとった行動のように自分を守る行動をとるだろう。

それは何か。

"怒りという感情に制御権を渡す"だ。

今まで感情に理性をかけてきた。その理性が制御できなくなる。
そうすると出てくるのは怒りだ。
でもこの場合その判断で合っていると思う。
いいんだ、怒りにまかせて。そうしなければ負の感情で押しつぶされそうになる。

もし「別に好きな人ができていた」という言葉が聞くことがあれば
それが制御権を渡すスイッチとなる。
怒りに制御権が渡った結果どうなるか。
上に書いたように相方の行動、考え方、人格、すべてを完全否定するだろう。

その全否定をする言葉はもう決めている。

昨日今日の私はこうだった。
さて、明日にはどうなるのだろうか。。。
本日2つめの日記。

今日は会社の上司と温泉につかりに行った。
いわば
"回帰祝い"
である。(感じあってる??)

いろんなことを話した。

[相方のこと]
すべて話してきた。今の状態も。上司の考えを聞きたかったのだ。
まぁ上司はただただ聞いてくれるだけだったが。。。

[仕事のこと]
今年1年学ぶべきことが多かった。
昨年4月に上司から
「今あなたが考える仕事の理想像ってなんだ?」
と聞かれた時私は
「今・・・理想像ってないです。先が見えていません」
と答えた。
「そうか。わかった。」
と上司は言う。

そして今日同じことを言われた。
だが、今の私は明確に考えを持っている。それは
「コンピュータが好きだ」
ということだ。コンピュータの分野はいくつかに分かれる。
①ホームページ
②プログラム開発
③ネットワーク構築、修理
まぁそんなところだ。私はどれも好きである。
だからこそそれらをまとめる今の私の仕事の中での立ち位置は性に合っている。
間違っていない。それが最近の私の考え。

[ウツのこと]
ウツってどんな状態だったのか?ということを語ってきた。
ステップ1:怒りやすくなる
ステップ2:焦りと不安に支配される
ステップ3:無気力
最終段階 :無関心
であった。詳しくは次回書く。この症状を今後忘れないために
この日記の残したい。


とはいいつつも話しながら考えながらまとめた考え。
やっぱり今私がしてることは間違っていないと思う。
自分の道・・・ちゃんと歩いているなって感じた。

まだ不安定な私。でも考えはまとまってきた。
あとは実行するだけだ。


スタートZERO

2011年3月27日 第3章
あ、どうも。
気分を変えるため日記のサブタイトル「いきかたのみち」を付け加えてみた。
なんかちょっと満足だったり。。。
「いきものがかり」みたいで(笑)

さて、土曜日相方と話してきた。
それも相方のホームグランド:居酒屋カウンターだ。
相方は大の酒好き。それも居酒屋スタイルが好きなようだ。
相方の話を聞きたくて、居酒屋を選んだ。

3 Vs 2

へんな記号ではない。
別れを告げてからの5日間の
"元にもどりたい"
という気持ちと
"やっぱり許せない!"
という気持ちの割合である。

3日間が"元にもどりたい"
2日間が"やっぱり許せない!"

気持ちにムラがあるのが今の治りかけの私。
完全にはまだウツが治っていない事を物語っている。

3 Vs 2
"元に戻りたい"という気持ちが勝ったのだ。
だからその気持ちを伝えた。

いろんなことを語りあった。
お互いの家族のことも含めて。

結果はどうなったか。それが題名の

"スタートZERO"

である。区切りをつけてゼロのからやってみよう。
それが答え。相方は今の私にムラがあることを十分認識しているから
今答えを出すことを先延ばしにしてくれた。

お互いにメールしたいと思ったときにすればいいし
会いたいときに会えばいい。ということ。

今まで2人でただただ走ってきた。
これからを歩き続けるのにはたしてこの人はできるのだろうか?
いわば今は試験的な期間である。
それでいい。いつまでかは決まってないけど、この期間が終わって
お互いに付き合いを選ぶときはそれは結婚:つまりプロポーズする時。
片一方もしくはお互いに別に好きな人ができればそれはそれで笑って別れる。
そういう話でまとまった。

それでも気持ちはすっきりしている。
今回ので一番避けたかったのは、お互いに答えを出さず、無駄に時間だけを稼ぎ、
気持ちが不安定な中で仕事をすることだった。
そんな不安定な中仕事ができるはずがない。それはお互いにメリットはないのだ。

そうはいいつつも付き合い直すことがもっともうれしい結果だったんですけどね。(笑)

会話の締めくくりは

私 :「まぁ、そんな・・・・感じかな」
相方:「・・・うん」

私たちのきまりきった言葉でもある。それで締めくくった。

この先どうなるかわからない。
でもお互いに答えは出せた。後は流れに身を任せるだけである。

なんだろうか、不安定な気持ちはなくなったように思える。

正直なことを話せば、居酒屋に行く途中の道で私は
"やっぱり許せない!"という感情に支配されていた。
だから今日という日をやめたいとまで思った。

だが、相方の顔、姿、匂いを感じた時、
"やりなおしたい"
という感情に変わった。

まだ私の中でせめぎあいは続いているのは現実の話。
治療が終わったとはいえ精神的にはまだまだ私も落ち着いていない。

まぁ・・・・そんな感じかな。


結局今日は仕事ほとんどできなかった。
まぁいいんだが。。。

"変えることができない過去"
"変えることができる未来"

いろんな人に話を聞いてみた。
私に起きた過去の出来事。
相方がとった行動。

すると帰ってきた答えは

"許してやれよ、大切な人なんだろ?"

誰もがそう答えたんだ。

一度別れた彼女とよりを戻した後輩
今結婚を決めてプロポーズし終わったばかりの友達
一度元彼女と別れ別の彼女と結婚した先輩
一度は結婚したものの別れた上司

いろんな立場の人に聞いた。
でも帰ってきた答えは同じだった。
そうなのか?だとすると許せない相方の行動をどう意味付けをする?
分らなくなった私は改めてこの日記を読んだ。

この日記には私を大きく変えた事件の事柄が
その時の私の感情とともに書かれている。

過去に起きた事実
そしてその事実をどう感じたのか

本格的に読むために紙に印刷してファイルにしてみた。
結構さまになってなんとなく自己満足(笑)
そして読み始める。
紙に印刷したのは大事な所にしるしをつけるためだ。

読み進めると不思議なことが起きた。
昔の私は今私が持っている考えとは違う考えをしていたのだ。
今の私の考えはあの事件から生まれたものだと思っていた。
だが、昔の私と今の私にはずれがあった。それもいくつも。

驚いた。
昔の私を信じるか、今の私を信じるか。
少し書いてみる。

今の私は
"人は変われない"
と思っている。それはあの事件において同じことが繰り返されたからだ。

しかしその当時の私は
"人は変われる、大きな出来事があれば"
と書いている。え?って読みながら思った。

"辛いときに他(過去)に走ることは絶対にNOだ"
今の私はそう思っていた。
しかしその当時の私は
"辛いときに他(過去)に走ることはOK。そこで生まれたエネルギーを今に使ってくれれば"
と書いている。何?って思った。

相方と別れる時、上の2点を責めた。
"あなたは辛いときに逃げた。だから今後同じような時に同じような行動をとる。
そんな人と一緒には歩けない"

しかしあの事件の真っただ中感じた私はどちらも正反対の感情、考え方。
どこで考え方にひずみが出たのだろうか。
何度も読み返した。何度も同じ所で目がとまる。

少し考えが変わった。

"相方は本当に逃げたのか?"
事実は違う。ウツ状態の私から離れなかった。
ちゃんと毎週会ってくれたし、メールも電話もくれた。
逃げたんじゃない、そう思い始めた。

過去と同じようなことが起きた。
ただ、「同じような」であって「同じ」ではない。

あの過去の結末と同じ結末を迎えてしまっては、
あの過去と「同じ」になってしまう。
同じにしないため、あの過去を経験したからこそ
私は違う結末を迎えたい。

何より大切な人なんだ。

そう思い始めている。

また明日にはどんな思いになるのだろうか?
まだ私の治療の代償は続いている。




治療の代償

2011年3月21日 第3章
あ、どうも。久々です。
無事インターフェロンの治療:48回の注射が終わりました。

いろいろ副作用あったけど一番ひどかったのは

"ウツ"

でした。会社にも行けなくなるくらいまで発展したからねー。

さてさて、治療が終わり大満足!というわけにもいかない。

治療中にとった相方の行動がどうしても
許せなかった。
認めるわけにはいかなかった。
受け入れるわけにはいかなかった。

その行動とは

"辛いときに他(過去)に走ること"

そう、あの激戦を繰り広げたアイツの行動と同じ行動をとったのだ。
この1年はある意味試練の1年でもあった。

相方は新任1年目。いわば社会人一年目。
私が社会人1年目の時支えてくれたのは相方だった。
相方が教員採用試験で頑張っている最中支えたのは私だった。
そして今回、
私がウツ状態になるのと新任1年目の重圧が重なり相方は逃げてしまった。
いや、正確に言うとどうすればいいかわからなかったときにある人から
「自分を守りなさい」
という助言を受け、自分を守る方向へと走ったのであった。

そう、この日記にも書いた6月の出来事だ。
そして今治療が終わり元の精神状態に戻りつつある私。

アイツと同じ行動をとった相方を許すことはできず別れを決断。そして伝えた。
相方の方も「いつかいわれるだろう・・・」と認識していたようで
泣きもせず、驚きもせず、淡々と聞いていた。

私にとってタブーな行為。それをしてしまった相方。

ただ、別れを告げた後私の頭をめぐるのは、
過去の楽しい思い出と相方の好きな所ばかり。

別れを決断、伝えたのにもかかわらずそれを後悔しはじめているのだ。

正直、人とここまで真剣に付き合ったことがなかったから
初めて起こる私の感情変化。

結局別れを告げたものの、よりを戻すかどうか迷っている始末。
あぁ、情けない。でもこれが私。
相方は
"(よりを戻すかどうかは)あなたが決めて、それに従うから"
舵は私が握っている。

しかし、わからないんだ。
何を基準にして考えたらいいのか。

過去のアイツのことを考えたらNO
社会人1年目を支えてくれたと考えたらYes
・・・・・

どれだけ悩んでも考えてもさっぱり。
やはり人に聞くしかないのか。
難しいな自分のパートナを探すってさ^^;

また来るよ。どうせこのことばかり考えて仕事できやしないんだから(笑)
まぁなんと14回目を忘れておりました。
ですのでまとめて今回でお届けします。

相も変わらず微熱は続いています。
やはりパターンとして土日月火水で微熱が下がってきて木金で平熱に戻ります。
この微熱。微熱で終わればいいのだが、ちょっと無理した日なんか7度8分となり
結構な高熱に。大体こういうときって体がだるくてなんとなく「あ、今日あるな」
という感じです。実際今日も図書館で一日勉強してたら夜7度7分ありました。
なんとも弱い体だ。。。><

他の副作用として新しく出てきたのは体のぶつぶつ。
特におなかあたりに赤い斑点が出てきました。副作用の一種なのか
それとも単にダニの仕業なのか。どっちかわからないが斑点は残っています。

そうそう。今週は少し流れが違っていて土曜日の朝いつも熱があるのに
今週はなかったんだ。夜はあったけど。。

副作用の一つにやる気の喪失があります。
もろ今の私、あれしようと思っても「治療中だから・・・」「これすると夜また熱でるんだろなぁ~」と考えてしまい、何もする気がない。

仕事に関しても一部その現象がみられ、なんとも言い難い。

治療を始めると、自分のことしか見えなくなって自分のことしか考えられなくなるのだなぁ~とつくづく感じています。

早く終わりたい。ただそれだけが今の望みです。

13回目の金曜日

2010年7月4日 第3章
今週で13回目の注射です。

腕の皮下部という筋肉がない所に打つわけなのですが、
だいぶん赤みを帯びてきました。
痒くて知らずのうちにかいてしまい肌が少し荒れています。

長袖であれば見えないのですが、半そでとなるとばっちり見えてしまう。
鏡で赤みが見えた時、やっぱり隠したいと思ったりします。


さて、副作用としては精神的な不安はだいぶん楽になりました。
きっと薬のおかげだろうと思いつつ。

考え方の一つだけど
「治療中だからマイナスな考え方になる、きっと治療が終わればそんな考え方しなくていいのだろう」
とプラスに考えられるようになった。
イライラすること、不安になること、それは一時的なものだと割り切って
しまうこと。少しだけ対策ができたのかなと思いつつ今日を過ごしています。

あと気になる副作用としては毎日夜に微熱が出てしまうこと。
それゆえに毎夕体がだるくなる。仕方ないんだけど、後9か月もあるのに
早く終わんないかなと思ってしまっています。


ここで関係ない話を1つ。
このブログの題名「ココロノセイリ」をgoogleで調べてみたら
まぁなんと別のブログが引っ掛かってきた。
同じような題名をつける人がいるんだねぇ~と思ったよ。
今週で12回目の注射となります。全48週から考えるときれいに1/4が終わったことになる。
とはいえ先は長い。やっていくしかないよね。

先週の問題であった気分の落ち込みと不眠はだいぶん軽減されました。
とはいえまだ薬は飲み続けています。

今週気になるのは"咳"と"微熱"です。
"咳"
のどの奥に痰が詰まるような咳が続き、咳をしすぎてオェ!と吐き気が催しています。
"微熱"
仕事終わりの夜、毎日7.1~7.5度の間で微熱が続いています。
なんでだろうなぁー。乗り切るしかないよね。


今日の話題は相方の話。

治療が始めるころ
"私が支えになってあげる"
と言ってくれていた相方。

しかし、初めての仕事というのもあり忙しくなる相方。

・自分が忙しくなり余裕がなくなる
・パートナー(私)が治療で今までどおりの得られたものが得られない。

さぁどうするか?と思えば、現実から逃げてしまった。
"私の昔はこうだった!"
といって昔ハマっていたことを最近し始めた。
私をほったらかしにして。

"人はきつくなったときに過去に戻りたがる"
これは私の持論です。
"過去に戻るのは今を犠牲にしなければならない"
これも私の持論。

今を犠牲にして過去に戻ってしまった相方。
それでも過去の方が居心地がよく、今をどれだけ犠牲にしているか
見えていない。


私は治療中で、精神的に不安定だ。
治療を始めるとき
"相方がいる、相方を支えにこの治療を乗り切ろう"
と思って始めた治療だったのに、その支えは3月ほどで
壊れてしまった。無くなってしまった。

なにより許せないのは、きつくなったときに過去に戻る
というアイツと同じことをしたことが許せないでいる。

過去の出来事とかぶってしまい、イライラが募っている。

考えなくていいはずだったことを考えるはめとなり、
これで夜が眠れなくなる。不眠の要因の一つだ。

ここにこの内容を書くのも自分の整理のため。
意味がわからないかもしれないが、ひとつ勘弁してやってほしい。

早い決断だが、相方とはもう無理かもしれないと思っている自分がいる。


どーも。何年振りだろうか。ここに来るのは。
計算すると約2年。ひぇ~よくもまぁほったらかしにしてたものです。

私にとってここは題名のごとく"心の整理"のための場所でした。

母の病態悪化
アイツの横暴
まさかの離婚劇
アイツの行方
兄貴の結婚
・・・・・・・・

兄貴の結婚でひと段落がつき、
ここともおさらばなのかなと思っていました。

ですが、ここにきてまたここにお世話になることにしました。
そう、私には心の整理をする必要が出てきたのです。

何があったのか。
私も母と同じC型肝炎の持ち主なのです。
その治療:インターフェロンを今年4月から始めました。
毎週1回注射を打ちそれを1年間(計48回)行うというもの。
とはいっても普通に生活しながらでもできる治療のようです。

母が歩んだ道を今私が歩いています。
今週は11回目の注射です。ここにきて精神面での副作用が出てきます。
その副作用とは、
・イライラ
・不安
この2つが常にまとわり付き、"不眠"と"鬱"を引き起こすものです。
人によって副作用も様々。とうとう私にもこの波がきました。

先週末からこの"イライラ"と"不安"が急激に増大。
大したことでもないのにこの2つに見舞われます。
仕事のこと、彼女のこと。
たまらず先生に相談したら精神安定剤が処方されてしまった。
ついにオイラも精神安定剤のお世話になると思うと少し笑えてくる。

ただ、この気持ちの不安定な時になって初めてあの頃の母の気持ちがわかる。
この治療中、母は鬱になった。
"鬱"。ことばでは2語だけど、それはもうなった人にしか分からない苦しみ。
私は今なりつつあるからほんの少しだけわかる気がします。
理屈なんて通用しない。考えることはすべてマイナス。
恐ろしいものです。

私の場合、ずーとではなく、2,3日で正常に戻ります。


母の味わった苦しみ。今その苦しみを何気に自分が味わっています。
パートナーがもし病気になった時。
その時、きっと今の経験が生かされることを信じて。。。

ご無沙汰です。

母は今週から入院。

ということで少しここで書きましょうかね。

社会人になって大分立ちます。
正直時間がないことに悩まされています。

平日は時間があっても疲れて体を休めることに時間を使います。

かといって休日はどうか。

休日の1/4は母の買い物、2/4は彼女、1/4は休息。
あれ?勉強の時間は???

そう、今勉強の時間が取れないことが結構悩みだったりする。

別に母を否定することもなく
彼女を否定することもないのだが、
現実として時間が取れない事実がある。
どうしたものか。。。。


父のことは兄が見ているため、状況がつかめません。
それはそれでいいのかなと。。。
久々の登場です。

大まかな流れを書きます。

兄・・・結婚しました。無事母も出席し、涙の結婚式でした。
それから兄は家を出て違う家に住んでいます。

私の家には私と母の2人で今住んでいます。

兄が父を、私が母といった形で見ています。
兄が父を・・といっても世話をしているわけではありません。
転院の手続きだとか書類関係を書いているだけです。
それでも兄の負担は大きいんですけど。。
その分母は私がしっかり見ています。

さて、私の支えの彼女はというと。。。
結構うまくいっています。
けんかとかしてるけどね。。。

母が大分の「夢の吊大橋」を見に行きたいと
ずーとしつこく言っていたので、
先週彼女も一緒に連れて行きました。

私の彼女、すでに母と5回ぐらい会っています。
それゆえにこの話にも乗ってきました。

そうしていると・・・今度は兄から
「夢の吊大橋見に行こう!」と誘われたそうな・・・

なんとも幸せな母と正直思ってしまいました。

母の命・・・もっともっといつまでも続く、そんな気さえしている
今日この頃です。

ドラマのような展開はひとまず終わったといっていいのかな?
それとも私自身が主人公になってしまったため、
シナリオが見えなくなっているのか。。。

うん、今は順調なのは確かです。
さて、現実があまりにも忙しすぎて
イベントがあっても何も書くことができませんでした。

さて、どんなことが起こったのかというと
?兄の結婚式が今年中に決まった!
これはメインストーリですからね。なくては困る話です。

?私の彼女ができたこと
怒らないでくださいね。
母の心配の1つに「あの子は彼女できるんだろうか」
というのがあったんですよ。

私自身も確実な支えが必要なので。。。

?母の病気の進行がワンランクアップしたこと
これは腹水と呼ばれる体に水がたまる症状。
これがくると次のステップは・・・・「死」です
これは受け止めなければなりません。
ただ。。。時期だけは何とかしたい
最悪結婚式と重なってしまう可能性もあるんです。
それだけは避けたい。
最後のメインストーリーを見させてあげたいんだ。

結婚式のときすでに母はいない。
そんなシナリオはごめんです。
はい、どうも。

またも母の吐血で入院です。
やはり・・・このドラマの節は苦しい戦いのようだ。

そんなとき今好きな子が助けてくれる。

そんなところですかね。ちょいきついんで詳しい話は
また後日。

今は嬉しいことも苦しいこともどっと押し寄せている
そんな話の流れ。

戦場最前線

2007年7月15日 第2章
久々ですね。どうも。

さて、この週末すごかったよ?

=木曜日=
母が3回目の吐血をしました。
自分で病院に行って、入院。
これほど頻繁に・・・

今母は貧血状態にあります。
なぜか。貧血出なければ、
もっと吐血が激しく生じるからです。

医者も貧血とわかっておきながら、
薬を出しません。あ、コレは母も知っています。

また、「おかえり・ただいま」
をいえなくなってしまった現実。。。

今回の悔しいところ。
実は少し前から体調が悪いって言ってたんです。
しかし・・
私は自分の仕事と恋愛に夢中で、吐血という選択肢が
頭になかったこと。
入院の連絡を受けた時、「なぜ忘れていた??」
と自分を責めました。
言い訳をするとすれば、
・仕事をすること
・彼女を作る事
が母の元気になると思っていたことです。

また闇に落ちる・・・
ってわけではありません。今は許される光がすくソコにいますから。

=金曜日=
この日もありえなかった。

仕事で納品したさきが実はアイツの入院している病院。
何!?
避けれられない現実。なぜもこう運命はいたずらするのか?
もしその現場でアイツと会っていたら仕事仲間に
ばれてしまうんですよ。
・・・ということは会ってないんですけどね^^

しかしかなり危険だったんです。
50M先にアイツがいるという状況になったんです。
さっと外にでて、会うことは避ける事ができました。
およそ45分・・・。かなり気を張っていた時間です。

木曜日と金曜日。
ありえない事が続き、ボロボロで
今好きな子に癒されてきました。
またコレも物語の一つですかね♪

=土曜日=
アイツが前住んでいたアパート。
現にココには戻ることができないので
アパートを引き払う事にしました。
兄の判断です。とはいえ、お金を払っているのは兄ですから・・・

荷物はどうするか。
全部ゴミとして処分します。その作業が土曜日。

見たことある服に
見たことあるメガネ。
見たことある食器に
見たことあるやかん。

4ヶ月間誰も入っていないため、ホコリがすごい><
さらに電気も止まってるから暑い!

息が苦しかったですね。
しかし、苦しかったのは息だけではありませんね。
心も苦しかった…

憐れよね。私たちの手で捨てられるこの荷物。
世は3連休。しかしながら私にとってはゆっくりできない
3連休であります。

でも今は前ほど気分は落ちてないよ。
なんでかって?
今好きな子に癒されているからですよ♪

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